ミュージアム・アート・フェアは昨日で終わりまして、ギャラリーマネージャさんが、現在、撤収のため札幌滞在中です。
今回のフェア、私は、一作品ウン十万の原画販売をしなかった代わりに、かなり色々なアイテムを物販に出しました。
1月中旬に展示作品を入れ替えるタイミングで、物販品も追加搬入できることになったため、当初は出していなかったポストカードも35枚ほど出しました。
これは、12月中の我々のブースの売上がもっぱらポストカードだったためで、私もポストカードを出せば、もっと売上を伸ばせるのではとギャラリー側と相談した結果でした。
この対応は本当に大正解で、その後は連日のように売上報告が舞い込むようになり、結果的に35枚中34枚は買い手がつきました。
売れたポストカードは、この記事のアイキャッチに使っているものです。
同じものは出さず、35枚すべて別デザインだったので、単純に、34/35 x 100=97%は、「私が作りたかったもの」と「お客様が買いたかったもの」が一致した計算になります。
これはなかなか心強い数字ではないですか!
私は、アニメ制作に関与して、鑑賞した皆さんのレスポンスに接するにつけ、
「人の好みというのは、似てないようで似ている、似ているようで似てない」
と感じることが多いです。
そのため、少なくとも誰か一人、気に入ってくれる人がいた作品は、十分に拡散して認知度を高める努力をしさえすれば、必ず他にも気に入る人が出てくると思っています。
だから、「少なくとも誰か一人」即ち、作者の私自身が気に入っている作品なら、十分に人目に触れる機会を作品に与えさえすれば、必ず私以外にも気に入る人が出てくる、つまり売れるものと思っています。
ただ、現実には、よほどの資金を投じない限り、「十分に人目に触れる機会を作品に与え」ることがそもそも難しいため、これを実際に検証することはできずにいました。
今回は、大きな規模の展覧会という形で、思いもかけずこの件を検証する機会が与えられ、本当に良かったです。
自分の好みに正直にサクサク制作したものが、お客様の好みにも一致する可能性が高いというのは、作家にとっては非常に楽です。
売るために、自分の好みと違うものを作らなくて済むのですから。
札幌の展示が終わったら、今度は地元凱旋展の準備が始まります。
凱旋展は物販で利益を出す絶好の機会でもあります。
ここのところずっと、メキシコ在住のアーティスト友達の作品を使った製品作りに没頭していましたが、その経験が、凱旋展の物販準備にそのまま役立ちますので、嬉しい限りです。
他人様の作品を商品化するという興味深い機会に恵まれたおかげで、作品にインスパイアされて作ってみたいと閃いたものを、具体的にどうすれば製品化できるか、コストやワークフロー、価格設定を含めて、かなり突っ込んだ調査をしてきました。自分の作品の商品化しか手掛けていなかったら、まず調べようとさえ思わなかっただろう様々な業者さんの存在、その優れた仕組みと本当に便利なサービスのことを学ぶことができました。
そのおかげで、凱旋展の物販では、これまで以上にお客様に喜んでいただけるアイテムを沢山出品できそうです。
アイテム一つからのローコスト受注生産や代行出荷の仕組みを持つ業者さんに協力していただくことで、作れる製品の幅がぐんと広がりました。
おかげで、最近は、product developmentが、やめられないとまらないかっぱえびせん状態になっています(笑)。
凱旋展が楽しみです!🐈
五百年の睥睨パステル版 – ねこのおなか
"[…] なお、この絵には、ボールペン画バージョンもあります。 […] "
再び公開批評コーナーに – ねこのおなか
"[…] 7月の批評コーナーデビューから3か月経過して、再びVIの公開批評コーナーに登場です。前回同様、今回も指摘内容はポジティブなことばかりで、従って、これといって私自身のスキルアップや今後取り組む作品に関する何らかの示唆が得られたというわけでもありません。公開批評コーナーで取り上げられる作品は、作者にとって、そして視聴者にとって参考になりそうなものなので、講評担当のMattとしては、どちらかというと私以外の受講生にあの内容を伝えたかったのかなと思いました。例えば、これは、葉っぱが密集しているシーンに光が差し込んでいるだけの場面で、いわゆるfocal pointを決めてそこに見る人を導く仕掛けを作るのが非常に難しいシーンであること。にも拘わらず、このように極めて分かりやすいfocal pointを上手く引き出すために、コントラスト、focal pointの位置設定、そして、周辺にそれとなくガイドラインを散りばめている構図上の工夫といった指摘がありました。が、これは、マダガスカルの陽光というブログ記事で説明した通り、参考写真ですでにfocal pointがハッキリしているため、特に意識して作画したわけではありません。ただ、公開批評コーナーに寄せられる質問の中に、確かに、参考写真を見てもこれと言って明確なfocal pointがない場合、どのように作画の工夫をしたらよいかという内容のものがチラホラあります。従って、Mattとしては、そのいい具体例としてこの作品を使いたかったのかもしれません。その他、コントラストにあまり差がないものが重なり合っている場合、それぞれのオブジェクトが持つエッジを何らかの形で示唆しないと場面に埋もれてしまうような場合、この作品のような処理の仕方をするのがおすすめという話もありました。この作品で言えば、重なり合う葉っぱが該当しますが、このような場合、縁取りをする代わりに、重なり合う部分のコントラストをほんの少し、部分的に変えるだけで十分に見る人にエッジの存在を伝えられるとのことでした。この点に関しても、自分で撮影した写真をじっくり観察した結果、実際にそうなっていたので、それを忠実に絵に反映しただけです。ただ、やはり人によっては、こうした処理も当然のことではなく、無造作に黒で縁取りしてしまう場合があるのでしょうね。そういえば、過去の二百を超えるエピソードの中で、肖像画で首にできた影を真っ黒に塗りつぶした作品を見たことがあります。そこは暗いオレンジとか、淡い茶色に紫と黒を混ぜるとか、何かあるだろうと思いましたが、影=黒という思い込みの人も少なくないようです。 […] "
再び公開批評コーナーに – ねこのおなか
"[…] 7月の批評コーナーデビューから3か月経過して、再びVIの公開批評コーナーに登場です。前回同様、今回も指摘内容はポジティブなことばかりで、従って、これといって私自身のスキルアップや今後取り組む作品に関する何らかの示唆が得られたというわけでもありません。公開批評コーナーで取り上げられる作品は、作者にとって、そして視聴者にとって参考になりそうなものなので、講評担当のMattとしては、どちらかというと私以外の受講生にあの内容を伝えたかったのかなと思いました。例えば、これは、葉っぱが密集しているシーンに光が差し込んでいるだけの場面で、いわゆるfocal pointを決めてそこに見る人を導く仕掛けを作るのが非常に難しいシーンであること。にも拘わらず、このように極めて分かりやすいfocal pointを上手く引き出すために、コントラスト、focal pointの位置設定、そして、周辺にそれとなくガイドラインを散りばめている構図上の工夫といった指摘がありました。が、これは、マダガスカルの陽光というブログ記事で説明した通り、参考写真ですでにfocal pointがハッキリしているため、特に意識して作画したわけではありません。ただ、公開批評コーナーに寄せられる質問の中に、確かに、参考写真を見てもこれと言って明確なfocal pointがない場合、どのように作画の工夫をしたらよいかという内容のものがチラホラあります。従って、Mattとしては、そのいい具体例としてこの作品を使いたかったのかもしれません。その他、コントラストにあまり差がないものが重なり合っている場合、それぞれのオブジェクトが持つエッジを何らかの形で示唆しないと場面に埋もれてしまうような場合、この作品のような処理の仕方をするのがおすすめという話もありました。この作品で言えば、重なり合う葉っぱが該当しますが、このような場合、縁取りをする代わりに、重なり合う部分のコントラストをほんの少し、部分的に変えるだけで十分に見る人にエッジの存在を伝えられるとのことでした。この点に関しても、自分で撮影した写真をじっくり観察した結果、実際にそうなっていたので、それを忠実に絵に反映しただけです。 […] "
夢風舎 – ねこのおなか
"[…] 樹の野生にあまりにも時間がかかってしまったので、何かシンプルなものをと取り組んだのが、こちらの夢風舎です。 […] "
樹の野生 – ねこのおなか
"[…] この作品で一番苦心惨憺したのは、幹のいたるところに無精ひげのように生えている短い草です。五百年の睥睨パステル版の記事にも書きましたが、厚塗りしてしっかりとレイヤーを作ってしまったところに、細い線で描写するには、パステルペンシルでは全く役に立ちません。今回は、生えている草に使う色のパステルを幹の上に重ね塗りして、五百年の睥睨パステル版で草原を描いたときと同じ手法で、カラーシェイパーを使って画用紙上で草の成形をする方法で描きました。 […] "