建造物やガーデニングに関連した資料探し、ペン画での表現方法で何か違うアプローチ方法がないか参考になるものが欲しい時など、インスタやピンタレストで画像検索をすることがあります。
そこで、当初探していたものとは違うものに興味を惹かれ、それがまた、次の制作のきっかけになることも少なくありません。

このオレンジ背景の子猫は、そもそもは、トルコのアーティストのペン画+大胆な部分彩色というやり方に魅力を感じて、試してみたものです。
加えて、アニメのサイコパス3のOP冒頭で、モノクロとオレンジの組み合わせのスタイリッシュさが好きでたまらず、それもついでにやってみることにしたのでした。

こちらの作品をめぐって、インスタ仲間と面白いやり取りがありました。
私は総じて、何を描くときにも無駄なものを画面に入れない傾向があるのですが、無駄を排することがアート全般において持つ意味とはなんぞやといった話です。

メセニー狂いの昔の知り合いが、first circleという曲を紹介してくれた時、「無駄で意味のない音符が一つもない曲」
と言っていたことがあり、それが、この曲やメセニーが好きな大きな理由だったようです。
また、以前、シルヴィ・ギエムのインタビューで、
「余計なもの、意味のないジェスチャーなどをすべて除いて表現している」と言っているのを聞いたことがあり、
「あーだから、この人のダンスは密度が濃くて切れ味よくて清々しいんだな」
と納得したものです。
ただ、人によっては、彼女のつもりとしては無駄を省いただけなのだけど、それが、バレエとしては「冷たく、感情を表さない」という印象になってしまうこともあるのでしょう。

私自身、無駄のなさからくる端正さが多分好きなんでしょうね。
特に意識することもなく、無駄のない作画や映像制作を一貫してやっているように思います。
ただ、「効果的に無駄を省く」というのは、ナチュラルにそうなってしまう人以外にとっては、表現方法として選択するのはむしろ難しいのかもしれません。
単にやみくもに省略したのでは、ただの雑な出来になってしまうでしょうし。
その点、書家の方や版画家の方は、無駄を省いた表現の名手が多い印象があります。
本質として欠いてはならないものをしっかりつかんで、それ以外のものは潔く捨象してしまう。
書家と版画家の作品は、見ていて清涼感が漂うものが多いと思います。
色々なモチーフで沢山の作品を生み出し、バラエティはあってもムラがないように感じるのは、そうした無駄のなさが一貫しているからなのでしょう。

ピーター・アースキンのTime Awarenessという本に、こんな一節があります:
「テクニックは創造のためのプロセスであって、それ自体は最終目的ではありません。
私にとってテクニックという用語が意味するところは、楽器を通じて自分のアイディアを表現するための最も簡単かつ自然な方法を見つけることに他なりません。
長年演奏してきた結果、自分の楽器(ドラムス)と格闘するようなことはやめて、よき友となりました。
それは、すべて音楽を演奏するためであり、曲に尽くすためです。」

アースキン言うところの「最も簡単かつ自然な方法」は、表現における「無駄のなさ」とほぼ同義なのではと思います。
最も簡単で自然なやり方で表現されたものが、自分のアイデアの表出方法として最善の状態なのではないか。

そんなことを考えさせられたやり取りでした。