カトウヒラクさん「鉄と遊ぼう 言葉と遊ぼう」展を鑑賞しにおたのしけギャラリーへ。

金属工芸作品の展覧会と聞いていましたが、金属工芸という分野にはまるっきり疎く、イメージするものと言えば、昔チュニジアで買った金物のお皿とか彫金アクセサリーとか。
しかし、ギャラリー提供の作品写真を見て、どうやら自分がイメージしているものとは全然違うらしいという予感が。
実際の展示作品を見て、その予感は的中しました。

お土産品やアクセサリーのような、それ自体で完結する閉じられた世界ではなく、映画の一シーンのような作品や、もともと決まった形というものを持たないヒトの在り方を具現化した作品など、時間軸と奥行を感じさせる開かれた世界が展開していました。


一連の作品を鑑賞して、創作の技術とコンセプトの関係性について改めて考えさせられました。
昔お世話になった写真の先生が、「カメラを持たない撮影実習」をやってみたいと言っていました。
先生は、最近はカメラが優秀になりすぎて、シャッターを押せばだれでも程々の写真が撮れるようになったものの、反面、カメラに撮らされた写真止まりという作品が増えたという問題意識を持っていたようです。
カメラなしの撮影実習であれば、カメラを手にしているとついやってしまう脊髄反射でシャッターを押す以外のことに目を向けざるを得なくなります。
周囲の環境への観察眼を培うこと、自分自身のアンテナを磨いて見慣れた風景の中に興味深いものを発見できるようになること、そもそもなぜ特定の被写体に興味を惹かれるのか、自分の内側を見つめ直し、自分自身に関する理解を深めるといったことです。

撮影技術は、自分が考えるいい写真という目的地に向かって飛ぶ上で必要な翼の片方に過ぎず、もう片方のコンセプトという翼が同じくらい大きく丈夫で、両翼のバランスが取れていなければ、まともに飛ぶことさえままならない。

これは、写真に限った話ではなく、創作全般について言えることと理解しています。
今回の展示は、各々の作品へのアプローチの的確さとrobustなコンセプトが相まって、とても説得力があり、満足度の高い内容と思います。
バラエティ豊かな作品群を貫く一本の針金のような統一感があるため、安心感、包容力といったものも感じ取ることができ、心地良く遊べる、楽しめる空間に仕上がっていました。

遊べると言えば、参加型の作品が一点ありましたので、私もちょっと手を加えさせていただきました
最初は、てっぺんから地面まで届く長い長い梯子をかけようと思いました。
この作品を見たとき、すぐに、
「猫がここに紛れ込んだら、あっという間にてっぺんまで登って降りられなくなるだろう。レスキュー用の梯子を設置しておかねば」
と思ったためです。
しかし、目測で、恐らく50段は必要と思われる高さがあり、それを作るのは時間的に無理だったので、この案は却下しました。
代わりに、てっぺんの端っこに飛び込み台をつけました。
この作品の街は、海に浮かんでいるような気がしたためです。
ただ、この界隈だけ1Gではないとか、人間を乗せて飛べるサイズの鳥がひっきりなしにあたりを飛んでいるといった想定外の事情により、飛び込み台から海に飛び込んだつもりでも、常識的に予想される結末には決してならないでしょう。

ここのところ、続々と意欲的な展覧会を企画・運営されているおたのしけギャラリー様には、改めて敬意を表したいと思います。