通算6回目のVirtual Instructor公開批評コーナー登場。
概ね好評でしたが、猫の背中部分の毛の描き方に気を付けること、猫の体が花に埋もれる部分がきっちり分かれすぎているので、もう少し猫の体の続きが垣間見えるような工夫をした方が、より自然でよかったのではとのことでした。

通常は、背景の存在感を少しトーンダウンして主役を引き立たせるのが定石ではあるものの、背景にも主役同等のコントラストを持たせることでユニークな仕上がりになっているという指摘もありました。
が、これについては反論して、植物は背景ではなくて猫と一緒に主役を張っているというコンセプトなので、これでいいのだと言ってはみたものの、それなら、猫のサイズをもっと小さくすべきだったなと今になって気づいたり(笑)
てことで、いずれこのアイデアで別のものを制作してみようと思います。

以前は、このコーナーに出せるものを描けるようになるというのが目標でしたが、思えば遠くへ来たものです。
このコース参加者にとっては、公開批評コーナーへの登場はやはり一種の憧れらしく、今年始めにメンバーになったカナダの方も、ずっと出たいとコメントしていました。
ところが、先日、念願かなってこのコーナー初登場したものの、この方はそれを境に、コースそのものを退会してしまいました。
公開批評であれこれ改善点ばかり指摘されたことにコメントで逆切れしていたので、おそらくはそれが理由と思われます。

しかし、批評コーナーで批評されて何で怒るんだろうという点がよく分かりません。
批評は別に絶対的なものではなくて、講師の指摘が的外れという自信があるなら、何を言われたところでいちいち動揺する必要もないですし。

No one can make you feel inferior without your consentていうエレノア・ルーズベルトの言葉があります。
講師の批評がいちいち癇に障るとすれば、それは結局、自分が本音の部分で批評に合意しているから、要は、痛いところを突かれているからでしょう。
批評に耳を貸すことと、それを今後の自分の制作に取り入れるかどうかは別の問題ですが、痛いところを突かれたのであれば、素直に批評を聞き入れればいいだけのことです。

批評と言えば、以前参加していた関東圏のネイチャーフォトのグループで、月一の合評会がありました。
このグループは、平均年齢が非常に高かったのですが、合評会での批評に対して、逆切れしてやめたカナダの人とは真逆のリアクションだったのが面白かったです。
代表の方は口が悪い人で、
「〇〇さん、毎年よく飽きもせずおんなじ場所でおんなじ写真を撮るもんですねぇ」
等と、批評の合間合間に嫌味をさしはさむのですが、言われた方は、
「いやぁ、先生には負けますよ~」
なんて平然と言い返して、30人くらいいたメンバーが皆それ聞いてゲラゲラ大笑いするという具合でした。
私も、
・女性が撮った写真とは思えん
・ネイチャーフォトって何かわかってる?
・こういうものを画面に入れるって、あなた一体どういうセンスしてんの等々、結構ボロカス言われました。
私が最年少参加者だったので、指摘に対しては、曖昧な謎の微笑で穏やかにかわしてはいたものの、内心では、正直、批評を真に受けたことは一度もなかったです。
それというのも、私はある意味、極端なまでに自己中だったからです。

写真に限らず、制作にはおよそ終わりというものはありません。
進化、変化、向上、色んな言い方ができますが、新しい挑戦に向けて役立ちそうなことは、なんでも吸収消化する貪欲さと意思が欠かせません。
人が自分の作品について何か言っているとき、大切なことは、相手が作品をほめているかどうかではなく、次の制作に役立つヒントが何か含まれているかどうかという点だけです。
ほめてもらえないからって人の意見に耳を貸さずにいると、結局自分の力を伸ばすチャンスもなくしてしまって、自分が損をします。
その意味で、写真クラブでの講評には、私の将来の制作をレベルアップする上でプラスになるものはない。
そう判断していたので、批評にはさしたる注意を払ってはいませんでした。

批評に敢えて自分の作品をさらすことを、勇気の問題ととらえる人も多いです。
そうとらえるのは分かりやすいかもしれませんが、私としては、むしろバランス感覚の問題ではと思います。
そもそも何かを自分で作れるということの圧倒的な幸福感に比べたら、表面的なところしか見えない他人がそれについて何を言おうと、それにそこまで傷つけられるほど重きを置く必要がどこにあるんだろうと。

お絵描きについていえば、輪郭しか描かれていない虚無の空間に、ボールペン一本で線をどんどん足していくことで、そこに生き物の存在感やら独特の空気感やらが湧き上がってくるプロセスは、作ってる人間にしか味わえない超貴重な時間です。
この間の多幸感があまりにもやばい(笑)レベルなので、批評で何か言われた→ああ、何か言ってるわ、程度の受け止め方で、バランスとして妥当でしょうと思うのです。

なので、おそらく、この逆切れカナダ人の方は、制作そのものにそこまでの多幸感がないので、相対的に他人の批評のマグニチュードが大きくなっちゃうのかなとも想像します。

批評というものに対して、このように結構冷めたスタンスでいるにも関わらず、公開批評コーナーに私がかたっぱしから作品送りまくっているのは:
・健全なる自己顕示欲(目立とう精神ともいう)を満たすため
・何かしら自分で気づけないポイントを指摘してくれることが多い
・ここで言われたことをきっかけにあれこれ考えて、次の制作のアイデアが生まれることがある
・「こういうセオリーから外れた作品を、この人のメソッドでどこまで批評できるのか見てやろう」という好奇心
のためですかね…。
総合的に見てメリットは十分にあるので、あくまでも「自分のために」批評コーナーを活用させてもらっています。
批評に振り回される人は、多分、こういう主体性も少々弱いのかなと思います。

徹底的に自己中であることが、批評でいちいちへこまない最強(最恐!?)の秘訣かもしれません。